もう、あの頃の声は聴こえない
○藤田家/リビング(朝)
梱包された段ボールが積まれた室内。
藤田美結(11歳)が段ボールに座り、佇んでいる。
○同/寝室(朝)
藤田祐子(34歳)が何もなくなった寝室の床を拭いている。
階段を上がってくる音。
祐子が手を止める。
ドアが開き、藤田隆史(36歳)が入ってくる。
隆史「悪い、遅れた」
祐子が無視して掃除を続ける。
隆史「クローゼットの奥?」
隆史がクローゼットを開けて奥を見る。
奥には梱包されていない段ボール箱。
隆史が段ボール箱を引きずって取り出すが、途中で段ボール箱が破れ、中の荷物が床に散らばる。
荷物はアルバム、ノート、賞状の入った筒など学生時代の思い出の品物。
祐子「汚さないでくれる」
隆史が小声でつぶやく。
隆史「汚れてないだろ」
祐子「最後の日くらい、ちゃんとできないの?」
隆史「はぁ?」
祐子「1ヶ月も前から取りに行く、取りに行くって、結局、取りに来たの、引っ越し直前じゃない」
隆史「仕事で手が放せないんだから、しょうがないだろ」
祐子「仕事、仕事って・・・。私と美結で、全部片付けたのよ」
隆史「そりゃ、お前たちが全部持ってくんだから、当たり前だろ。俺の荷物は、これだけだし。財産放棄してんだぞ、こっちは」
祐子「そんなに偉そうな態度をとられるくらいなら、財産なんかいらないわよ」
ドアをノックする音。
美結が引っ越し用の段ボール箱を持っている。
美結「パパ、要る?」
隆史と祐子が美結の方を見て微笑む。
隆史「ありがとう」
隆史が段ボール箱を受け取る。
隆史「あとはパパがやるから、下で待ってな」
美結「うん」
美結が階下へ降りていく。
隆史が新しい箱へ荷物を移す。
綺麗に包装されたCDケース大の荷物が混じっている。
祐子「それ」
隆史「は?」
祐子「全部、持ってくの?」
隆史「ああ」
祐子「そう・・・」
隆史が荷物を移し終わる。
隆史「さて、と。これ俺のマンションに送って欲しいんだけど、送り状は?」
祐子「こっちでやっとく」
隆史「俺の住所、美結にも教えといてな。2ヶ月に一回ならいいんだろ、面会は」
祐子「うん」
隆史「邪魔者は去るとするか」
隆史が立ち上がり、部屋を出ていく。
祐子が隆史が出ていったドアをしばらく眺め、再び床を拭き始める。
○藤田家/外観(昼)
引っ越し業者が荷物を運んでいる。
祐子と美結が様子を見ている。
○藤田家/外観(夜)
周囲の家に電灯が点っているが、藤田家には電灯が点らない。
○藤田隆史宅/寝室(朝)
独り暮らし用の2DKマンション。
閉じたカーテンの隙間から明るい日差しが漏れている。
薄暗い部屋のベッドに隆史が眠っている。
玄関チャイムの音「ピンポーン」
隆史がゆっくりと目を開ける。
何度かチャイムの音がする。
隆史がベッドから起きあがり、ドアの方に向かう。
○隆史宅/リビング
隆史があくびをしながらカーテンを開ける。
隆史「今日だったかぁ・・・」
美結「忘れてた?」
隆史「いや、覚えてたけど」
陽射しで明るくなった部屋。
床に直接置かれたテレビとDVDプレーヤー、壁際に衣服をかけているハンガーラックと洗濯物を入れる収納箱がある以外は家具のない質素な部屋。
隆史は床に寝転がる。
隆史「今、何時?」
美結「9時」
隆史「もう30分寝かせて、そしたら外に連れてくから」
隆史が床に転がっているリモコンを渡す。
隆史「テレビ見る?」
美結がリモコンを受け取り、テレビをつける。
***時間経過***
隆史が目を覚まし、ゆっくりと起きあがる。
テレビが消えている。
美結が段ボール箱を開け、中に入っていた荷物を取り出して、眺めている。
引っ越しの日に隆史が積めていた荷物である。
隆史「どうした?」
美結「面白いテレビやってないんだもん」
隆史「パパが子供の頃からのアルバムだよ」
美結がアルバムの一つを手に取る。
美結「これで、いつ頃?」
アルバムには高校生の頃の隆史の写真。
隆史「高校生かな」
美結が筒から取り出された賞状を隆史に見せる。
美結「この賞状も高校」
隆史「そうそう、うわぁ懐かしいな、その賞状」
美結「何の賞状?」
隆史「モスキート音って知ってる?」
美結「モスキート?」
隆史「大人になると聞こえない音があるんだよ、その音の周波数を工夫して日本語を喋らせるっていう実験」
美結「へぇ」
隆史「へぇって、パパ、それで内閣総理大臣賞もらったんだぞ」
美結「(興味なさげに)すごーい」
美結が再びアルバムに目をやる。
美結「これママ?」
高校時代のグループ写真に隆史と祐子が一緒に写っている。
隆史「ああ、うん、部活の写真、ママは後輩だったんだよ」
美結「ふ〜ん」
美結が箱中のCDケース大の荷物に気づき、取り出す。
美結「これ何?」
隆史「なんだっけ?全然、覚えてない」
美結「開けたことないの?開けてもいい?」
隆史「いいよ」
美結が包装を破ると中はCDケースに入ったCD。
CDケースには「藤田先輩おめでとうございます!小川祐子」とプリントされた紙と共にCDが入っている。
美結「CD聞ける?」
隆史がケースの紙に目をやって答えない。
美結がDVDプレイヤーで再生する。
テレビのスピーカーから音声が聞こえる。
小川祐子の声「藤田先生、研究発表、受賞おめでとうございます、小川です」
美結が再生を一旦停止させる。
美結「小川って、ママ?」
隆史「ああ、そう、今、小川だもんね」
美結「高校生の頃のママ?」
隆史「うん」
美結「おもしろーい!」
美結が再生を続ける。
祐子の声「先輩が一生懸命研究に打ち込む姿、いつも後ろから見守っていました。本当に素敵でした」
美結「”素敵でした”って!」
祐子の声「私の気持ちを、先輩の研究成果で伝えさせて下さい」
スピーカーから音声が聞こえなくなる。
美結「うわぁ!」
美結が手足をバタバタさせる。
美結が再生を一旦停止する。
美結「パパ、聞いた?」
隆史「え?」
美結「今の聞いた?」
隆史「いや」
美結が、もう一度再生する。
祐子の声「先輩の研究成果で伝えさせて下さい」
美結「ほらぁ!」
隆史には何も聞こえない。
美結「”愛してます”だって!」
隆史「モスキート音だよ」
美結「ん?」
隆史「もう、その音は聞こえない」
美結「なんで?」
隆史「パパとママには聞こえなくなったんだよ」
隆史が苦笑いを浮かべる。
隆史が立ち上がる。
隆史「よし!昼は何食べたい?」