父は波の彼方に
○仮設住宅地区/昼
仮設住宅が並んでいる。
○地域集会所・外/昼
玄関脇に「沢沼地区避難住民 集会所」のプレートが貼られた平屋のプレハブ建物。
集会終わりの住民たちが出てくる。
轟正一(31歳)が中から出てくる。正一の後ろをついてきた藤江久子(58歳)が、正一に声をかける。
久子「正ちゃん、ちょっと」
正一「ん?」
久子が声を潜める。
久子「話があるんだけど」
○轟家・居間/昼
正一の住む仮設住宅の居間。
部屋の隅には小さな仏壇、仏壇の前に轟啓治(65歳)の遺影。
正一と久子が入ってくる。
久子「洋子さんは?」
正一「おふくろは、今週は仙台の妹のところに」
久子「そうか、うん、まぁいいか」
正一が座って、お茶を煎れる。
久子に仏壇に近づく。
正一「いいって何が?」
久子は答えずに遺影をじっと見ている。
正一「父さんに手を合わせてってよ」
久子が遺影を手にして、正一の前に座る。
正一が湯呑みを差し出す。
正一「どうぞ」
久子「おばさんね、会ったの、お父さんに」
正一「は?」
久子「見たの、パチンコ屋さんから出てくるところを」
正一「ちょっと、ちょっと、どういうこと?」
久子「2、3ヶ月前、福島市内の親戚の家に行った時、パチンコ屋さんから出てくる轟さんを見たのよ」
正一「似てる人でしょ」
久子「その時は、そう思ったの。でも、その後、何度か親戚の家に行くことがあって、気になるからパチンコ屋さんを覗いたわけ、そうすると、たいていパチンコ打ってるのよ。で、一昨日ね、親戚の家に寄った時に、ちょっと覗いてみたら、轟さんもこっちに気づいて、「どうも」って頭下げるわけ、それ本人以外にありえないでしょ」
正一「そんな。いや。そんなぁ」
久子「でも、私に挨拶したのよ」
正一「確かに、波に流された後の遺体は見つかってないけど」
久子「行ってみなさい、絶対にお父さんだから、間違いないから」
正一が遺影を見る。
正一「父さん…」
○パチンコ店・店内/昼
客がパチンコを打っている。
啓治らしき男がパチンコを打っている。
啓治らしき男の後ろから正一の声。
正一の声「父さん」
啓治らしき男が振り向くと、正一が立っている。
啓治らしき男が手を挙げる。
啓治らしき男「おう!」
○喫茶店・店内/昼
向かい合って正一と啓治が座っている。
啓治「これは、いいチャンスやなと思ってな」
正一「津波には流されてなかったわけ?」
啓治「そのまま、こっち来たんよ」
正一「あの後、みんなが涙、流したんだから!」
啓治「涙の前借り、いいんじゃない、それで」
正一「戻る気あるんだよね?」
啓治「このままっていうのもありだと思うよ、人生」
正一「はぁ?生活は?」
啓治「日雇いの仕事もあるし、気楽に」
正一「まいった、バカ親父だ」
啓治「せっかく死んだことになったんだから、珍しいよ、このままやってみようよ、な」
啓治がズボンのポケットから千円札を取り出し、テーブルに置く。
啓治「気にせんでもいいよ」
啓治が立ち上がる。
正一「こんなのあり?」
啓治「あり、あり」
啓治が去っていく。
呆気にとられた表情を正一が啓治の座っていた席を見ている。