ミスター・アンダーソン
○バス車内/昼
郊外を走るバス車内、まばらな乗客。
スーツ姿の加藤貴之(34歳)が鞄を抱えて座っている。
加藤は手に持った書類(「OB名簿」と記された住所録のコピー)を見ている。
住所録の「さ行」に笹岡慎太郎の名前。
車内アナウンス「高城農協前、高城農協前」
加藤が立ち上がる。
○笹岡家前/昼
自宅前に小さな畑。
帽子、ポロシャツ、ジーンズ姿のラフな格好の笹岡慎太郎(51歳)が畑の世話をしている。
道の向こうから加藤が歩いてくる。
加藤が笹岡を前にして立ち止まる。
加藤「笹岡さん?笹岡さんですよね、加藤です。山一の」
笹岡が加藤を見るが反応がない。
加藤「法営企画部で、少しの間、ご一緒してた、加藤貴之です」
笹岡「加藤?あぁ・・・慶応出身の?竹中のところにいた?」
加藤「そうです、竹中課長の営業推進から移ってきた。覚えてくれてます?」
笹岡「歓送迎会の時に酔っぱらって暴れてた加藤君だろ」
加藤「(苦笑い)参ったなぁ。会社がなくなって以来、お久しぶりです」
笹岡「どうしたの、こんなところで」
加藤「ちょっと近くまで仕事で」
笹岡「こんな田舎に、なんの仕事」
加藤「まぁ、いろいろですよ。それにしても笹岡さん、顔つき変わられましたね、ちょっとわからなかったですよ」
笹岡「痩せたからな、今は畑で採れたもんで、ほぼ自給自足の生活なんだよ」
加藤「でも、顔色は良くなって、健康的ですよ」
笹岡「そう、ストレスもないし。立ち話もあれだから、お茶でも出そうか?」
加藤「いいんですか?」
笹岡「こっちはいくらでも時間あるけど、そっちは?」
加藤「こっちも時間はありますから」
笹岡「じゃ、上がってって」
○笹岡家居間/昼
縁側に面した居間は卓袱台とテレビだけの簡素な部屋。
加藤が鞄を傍らに置いて座っている。
笹岡がお茶を持ってくる。
笹岡「悪いね、色気のない家で」
笹岡が加藤の前にお茶を置き、座る。
加藤「奥さんは買い物ですか?」
笹岡「今、独りなんだよ」
加藤「お子さんの学校の関係で別々で暮らしてるとか?」
笹岡「そんなんじゃなくて、別れたんだよ、離婚。会社がなくなって、再就職も決まらない時に、金だ何だで、ごたごたして」
加藤「すみません、悪いこと聞いて」
笹岡「そっちだって、大変だっただろ?どうしてた、会社が倒産した後」
加藤「再就職、大変でした。最後はマクドナルドでバイトでもしようかと思うくらいで」
笹岡「今、俺、早朝清掃やってるよ、駅前の店で」
加藤「え?」
笹岡「自給自足で食費は浮くけど、それだけじゃ生活できないから」
加藤「笹岡さんのキャリアで、そんな仕事を」
笹岡「実家に戻ってきて、あらためて気づいたけど、自然は凄いよ。野菜は何で育つと思う?太陽と水と土だよ、頼まれたわけでもないし、金をもらうわけでもない」
加藤「そういう話とは、また違うような・・・」
笹岡「畑やってみろ。数字を相手に仕事してた頃、キャリアとか、金、プライドとか、あんなに大切だと思ってものが自然相手には何の意味もないんだから。世の中、そんなもんだと思ったら、金融の仕事も、マックで掃除するのも、どれも一緒だって」
加藤がお茶を飲む。
玄関から声がする。
声「笹岡さん、いる?」
笹岡「(加藤に)近所のおばちゃん」
笹岡が立ち上がり、部屋を出ていく。
加藤が鞄を見つめる。
笹岡が戻ってくる。
笹岡の手にした豆の煮物の皿を卓袱台に置く。
笹岡「もらいもの、食べる?」
加藤「いえ、結構です。じゃ、もう未練はないんですか、1日20億、30億の金を動かしてた、あの頃の生活には」
笹岡「ミスター・アンダーソン」
加藤「なんですか?」
笹岡「マトリックス、小さい頃の息子を連れてった時は、ほとんど寝てて覚えてなかったけど、この間、テレビでやってたろ、見たことある?」
加藤「ええ」
笹岡「当たり前の世界も、そうじゃないかもしれない」
加藤「そんな話ですね」
笹岡「金だ、出世だ、成功を追いかける世界は真実じゃなかったのかもしれない、少なくとも自分にはね」
加藤「悟りを開きましたね」
笹岡「ま、数字は食えないけど、野菜は食えるからね、今の自分には数字より野菜の方が価値がある」
笹尾かが微笑む。
加藤が笹岡から目を逸らし、鞄を見る。
加藤「じゃ、そろそろ」
笹岡「悪かったね、引き留めて」
加藤「こちらこそ」
○バス車内/夕方
加藤が席に座っている。
加藤が鞄を開け、書類を取り出し、眺める。
書類は「人脈・イズ・マネー」、「コネクションを換金せよ、換金できないコネクションは価値がない」、「知人の数だけビジネスチャンスがあると思え」等、人脈使ったビジネス(ネットワークビジネス)の営業販促資料。
加藤が書類を見ながら溜息をつく。
窓から差し込む夕日。
加藤が窓の外を見る。
窓に加藤自身の姿が映る。
加藤「ミスター・アンダーソン」